欲望について/ウィリアム・B・アーヴァイン

自分が何を望んでいるのか分からない時が度々ある。望むものが分かればそれを満たすように努力するのに、分からないから嫌な気分のままだ。自分が何を望んでいるのかをできるだけ正確に知る方法がないかと思って、この本を読んでみた。

 

まず欲望がどのように発生するかというと、殆どの欲望は無意識のうちに発生する。私達は自分の意志で望み、何故それを望んだのか理由を説明できると思うかもしれないけれど、理由なんてものは後付けらしい。情動が欲望を発生させ、知性がそこに、あたかも自分の意志でそれを望んだかのような理由をつける。

また、情動が引き起こした欲望に、知性が欲望を叶えるための手段を提供する。情動が手段を承認し、行動に移す。

情動が引き起こす欲望は人の生存や繁栄にもとづくものなので、知性は拒否するのが難しい。でも情動は知性が形成した選択を拒否することがある。だから快・不快の感情(情動)を押さえつけるのは難しく、意志の力(知性)は弱い。

ならばしたいと思ったことはごちゃごちゃ考えないでその通りにやるのが一番正解に近いということか。

ちなみに情動がなくなれば常に論理的な選択ができるようになるかというとそうではなく、脳に傷を負って情動が働かなくなった人は、何も選べなくなってしまうらしい。

 

というわけで、欲望は無意識のうちに発生するので、私たちはその理由をいつも正確に知れるわけではない。後付けの理由は間違う可能性がある。

私は自分の意志で合理的に考えて選択したと思った時に満足していたけど、それらしい理由を考え付くのが上手くできただけかもしれない。

私の「自分の望みを知りたい」という望みについてはどうすればいいかというと、どうやらあまり簡単な解決策はないようだ。そういうことなら仕方がない。

 

欲望について

欲望について

 

 

複雑さを生きる/安冨歩

この本を読んでいたらコンピュータ関係の専門用語と思われる*1言葉がちらほら出てきたので、著者は何を専門にしている人なんだろうと思ってWebで調べてみると、経済学者と書かれていた。

でもこの本の中で著者は自身のことを「複雑系科学者」と言っている。複雑系とは何ぞやと思ってこれまたWebで調べてみると、

相互に関連する複数の要因が合わさって全体としてなんらかの性質(あるいはそういった性質から導かれる振る舞い)を見せる系であって、しかしその全体としての挙動は個々の要因や部分からは明らかでないようなもの

複雑系 - Wikipedia

だそうな。

物事は分解したほうがシンプルになって分かりやすい場合もあるけど、分解してしまうと意味が分からなくなってしまうこともあるから、そういうものはバラさないで考えましょうということのようだ。

複雑系科学」という言葉もあるらしい。

 

この本は、複雑な問題に対処するための具体的な方法を書こうとしたものであるとのこと。

その一つとして、ハラスメントについて書かれている。

人と人とのコミュニケーションは、お互いに手探りで築いた距離感や空気感のようなものを前提としているけれど、それをぶち壊すのがハラスメントであると、この本では言っていると思う。

「自分は良いと思っていても相手が嫌がったらハラスメント」というのがよく言われるハラスメントの定義だと思うけど、この本では、人を支配しようとする意図があるものとか、もう少し狡猾なものをハラスメントと呼んでいるように感じた。

それが正しいハラスメントの定義なのかどうか分からない。個人的には、「嫌だと思ったらハラスメント」で良いと思った。その方が声をあげやすいと思うので。

ハラスメントに対抗するには相手にやめろと断固たる姿勢を示すことだと書いてあるけど、それで目が覚めるなら良い方で・・・。

ああでも私も自分ではまともな人間だと思っていても、気が付かないうちにそういうことをしているかもしれない。気を付けないと。

 

複雑さを生きる―やわらかな制御 (フォーラム共通知をひらく)

複雑さを生きる―やわらかな制御 (フォーラム共通知をひらく)

 

 

*1:私が思い違いをしているだけで、元をたどると違うとか、他の分野でも使われる言葉なのかもしれない。

新・帝国主義の時代(左巻 情勢分析篇)/佐藤優

帝国主義とは以下のようなもので、

資本主義が発達する過程で必然的に起きる現象だ。

外部である他国(場合によっては国内の辺境地域)からの搾取と収奪を強めて、生き残り、発展しようとする大国の本能に基づいている。

佐藤さんは以下のようなものを新・帝国主義と呼ぶ。

21世紀の帝国主義国は植民地を求めない。それは、人類が文明的になり、人道主義が発展したというよりも、植民地を維持するコストが高まったからだ。また、帝国主義国は全面戦争を避ける。全面戦争によって、共倒れになることをどの帝国主義国も恐れるからだ。植民地支配をせず、全面戦争を避ける傾向がある21世紀の帝国主義を新・帝国主義と呼ぶことにしたい。

 そしてどういう姿勢で他国から搾取や収奪をするかというと、言いたいことを言ってみて、相手国や周りの国から文句が出てきたら要求を引っ込めると。

実際に起こっている国同士の色々なやり取りが、こんな感じだなと思う。

あまり感じが良いとは言えないけど、国の生き残りがかかっていると考えると仕方がないのかもしれない。

資本主義が発達する過程で起きる現象と書いてあったけれど、資本主義が現れる以前は違ったんだろうか。

 

新・帝国主義の時代 - 左巻 情勢分析篇
 

 

失われてゆく、我々の内なる細菌/マーティン・J・ブレイザー

人の体には常在菌がいる、という話は聞いたことがあるけれど、どのくらいの菌がいるかというと、人1人の細胞の数が30兆個に対して、細菌や真菌の数は100兆個なんだとか。

重さでは人の脳の重さと同じくらいで、種類は1万程度らしい。

この、人と共生している細菌の群れをマイクロバイオームと呼ぶ。

私はこの単語を初めて聞いた。腸にいる細菌の群れを腸内フローラと呼ぶのは聞いたことがあるけど、この本には腸内フローラという言葉は出てこなかった(はず)。

 

そもそも地球には、私たちの目には見えないけれど沢山の微生物がいて、その数も重さも、目に見える生物(植物も含む)を超える。

そしてそれらの微生物がいなければ、私たちはものを食べたり呼吸をしたりすることもできないけれど、微生物たちは人がいなくても生きることができるし、微生物たちが地球に誕生してからこれまでの時間を24時間とすると、原生人類が現れたのは午前零時のたった2秒前なんだそうな。

つまり地球は、人間が自分たちの星のように思っているけど、本当は微生物の星なんだ。

人類が滅びても微生物たちが末永く楽しく暮らしていくのなら、それはそれでいいかもしれない。

 

タイトルでの通り、著者は、私たちと共生している細菌たちが抗生物質の使用などにより失われつつあると言っている。そして細菌を失ったことが、肥満や糖尿病や花粉症などを起こす原因になっているのではないかとも。

私たちはいつから細菌と共生しているのかというと、お腹の中にいるときは無菌で、産道を通る時と生まれた直後に、母親と生まれた時に周囲にいた人達から、何兆個もの細菌を受け取る。

(成長してから他の人との接触などで細菌を受け取っても、あまり定着しないらしい。なので、大体生涯同じ細菌と暮らす。)

だから、帝王切開によって出生率は上がったけれど、通常の出産であれば母親から受け継ぐはずだった細菌が子供に受け継がれない問題も指摘している。

もちろん、抗生物質帝王切開により死なずに済んだ人が沢山いて、それらが全面的に悪いわけではない。

要は、苦しむ理由が変わっただけということだと思う。早く死ぬか、長生きできるけど苦しむか。

 

失われてゆく、我々の内なる細菌

失われてゆく、我々の内なる細菌

 

 

日本料理とは何か/奥村彪夫

いま日本で食べられている料理、というか料理法や食事の作法は殆ど中国から伝わったもので、では日本料理とは何かというと、それらを日本流にアレンジしたもの、ということらしい。

例えば、元々豆腐は固いものだったけど(本の中に、紐で縛って持ち上げている写真があった。)日本の豆腐は柔らかいとか、中国では水があまり綺麗ではないので生のままものを食べることはなく、食中毒を防ぐために揚げ物が多いけれど、日本は水が綺麗なので、割と色々生で食べるとか。

食べるものはその土地の風土によるところが大きいから、輸入されたままではなく変化したというわけだ。

 

昔の人、特に狩猟採集生活をしていた頃は、いつもお腹が満たされはしなかったかもしれないけど、色々な種類のものを食べていたんだなあ。

それに比べて私ときたら、最近は選ぶのが面倒で、毎週ほぼ同じ食べ物のサイクルを回している。

体に悪いものはそれほど食べていないと思うけど、種類の少なさという意味では栄養不足の心配があるかもしれない。

色々な食べ物を手に入れようと思えばいくらでも手に入るのに、何でもおいしいし、栄養的にも悪くない(はずだ)からといってつい同じものを選んでしまう。

と言っても農業が始まってからは、同じものが大量に作れるようになって、食べられるものが偏ってしまったようだけど。

江戸時代だったか、力仕事をする人は米を1人1日9合だっけ?数字はちょっと違ってるかもしれないけど、いくら米だけでも、とても食べられる気がしないと思った。どんな胃だ。

人体600万年史(上)(下)/ダニエル・E・リーバーマン

肥満や糖尿病など、ここ数年の間に増えている体の不都合は、急激に起こった生活の変化に、人間の進化が追い付けないせいだ、というお話。

変化とは、農業が始まって同じものを大量に食べるようになったことや、色々なことを人力でやる必要がなくなり、運動をする機会が減ったことなど。

この本ではそれらの病を「ミスマッチ病」と呼んでいる。

人の体はしばらくの間食べ物が手に入らなくても大丈夫なよう、エネルギーを脂肪として貯め込めるように適応してきたのに、現代は余るほど食べ物があり、あっという間に脂肪が貯まってしまって、そのせいで病気になるのでミスマッチというわけ。

 

私としてはどこかで聞いたことのある話が大半だったなという印象だけど、一つへぇと思ったのは、自閉症もミスマッチ病の一つである疑いがあるということ。

私は自閉症は、昔からあったけどうまく診断ができていなかっただけだと思っていた。けどこの本によると、

例えば自閉症は、かつては殆どなかったのに最近になって急に一般的になった障害であること(これは診断基準が変わったからだけではない)、そして大半が先進国で発生していることから、ミスマッチ病の一つではないかとも考えられている。

 だそうな。判断が難しく、あくまでも仮設だそうなのだけど。

 

人体600万年史(上):科学が明かす進化・健康・疾病
 
人体600万年史(下):科学が明かす進化・健康・疾病
 

 

食と健康の一億年史/スティーブン・レ

何を食べればいいのか、何を食べない方がいいのか、確かな答えなんてないとは思うけど、日々食べるものを選ぶときに、食べたい/食べたくない と 食べるべき/食べないべき が頭の中で喧嘩をして、何を食べたらいいのか分からなくなることがよくあるので、何か参考になる本はないかと読んでみた。

お話ではなく説明的な内容の本は、割と途中で嫌になって読むのを止めてしまうか、ちょっと我慢して読むことになるけど、この本はほぼ終始、興味深く楽しんで読んだ。

 

著者は、祖先のようによく歩くことと、伝統食(祖先が食べていたもの)を食べるのが良さそうだと言っている。

歩くのが良い理由は、食事だけで健康を担保するのは難しいから。それは分かる。でも毎日2時間歩いて、座るのは一日3時間にした方が良いと言われても、無理かな・・・。

 

伝統食については、もちろん伝統食にもデメリットはあるけど、体は伝統食に適応しているので、何を食べるか食べないかくよくよ考えるよりも、伝統食を食べておけばほぼほぼ間違いないということらしい。

すると私の場合、日本の伝統食って何だ?ご飯とお味噌汁は伝統食にあたりそうだけど、例えば魚は?何となく伝統食っぽい感じはするけど、日本人は本当に昔から魚を食べてきたのか?そもそもいつ頃から食べていたら伝統食と言えるのか?

 

それからへぇと思ったのは、肉や乳製品を食べることは、体の発育や活力と、寿命とのトレードオフになるので、若いうちは肉や乳製品を控えめにして、65歳以上になってから食べたほうが良いという話。

これは動物性たんぱく質を指しているわけではないのかな。魚は対象外なのか。

 

こういう研究を生業にするのって楽しそうだな。成果が見えづらいと思うので、それはそれでつらい部分もあるだろうし、途中で急に興味がなくなってしまったら、途方に暮れてしまいそうだけど。

 

食と健康の一億年史

食と健康の一億年史