道徳感情はなぜ人を誤らせるのか/管賀江留郎

著者の管賀江留郎さんは、少年犯罪データベースを主宰している方なのだそうな。この本の前に、戦前の少年犯罪という本も書いている。

この本では、いくつかの少年犯罪において冤罪が起こってしまった理由などについて書いている。

 

思ったこと

 この本の趣旨とはあまり関係がないけれど、浜松事件の犯人である誠策について。

彼はほぼ耳が聞こえなかったため十分な教育が受けられず、道徳感情が身につかなかったと書かれている。

けれど一方で、人を殺す道具を、それも職人が作ったと見紛う程のものを自作したり、ある程度時間をかけて人を殺す練習をしたり、冷静に実行の時期を計画したりなど、最初の犯行が10代の前半とは思えないほど頭がいいように思える。自分が10代の前半の頃、1人で殺人の準備をしろと言われてもとてもできそうにない。

とても賢そうなのに、人を殺してはいけないことが分からなかったなんてことがあるんだろうか。道徳感情って、少なくともある程度は生まれつき備わっているものじゃないんだろうか。まあ彼はサイコパスだったかもしれないとも書かれているのだけど。

この本でも少し触れられていたけど、親が放置しすぎたということも関係あるんだろうなあ。何しろ父親は、自分が殺されるほど息子に恨まれているなんて全く思っていなかった。息子の犯行はショックで自殺してしまうほど予想外だった。いまなら虐待(ネグレクト)と言われるほど放置してたんだろう。

 

おぼえがき

物事をありのままに見るのは難しい

シャーロックホームズか何故名探偵なのかというと、物事をありのままに見ることができるからなんだそうな。私はお話を読んだことがないので本当かどうか分からないけど。

普通の人は、認知バイアスがあるので物事をありのままに見ることができない。でもそれは人が生き残るために進化の過程で身に着けてきたものであって、簡単に捨て去ることはできない。でもそのために、この本に書かれているような、冤罪などの誤りが起ってしまう。

 

道徳感情とは何か

アダム・スミスと言えば国富論。というくらいは知っているけど国富論を読んだことはない。そのアダム・スミスが、道徳感情論なんていう本も書いていたんだと。その本によると、道徳感情とは他人に共感することから生まれるものであり、人の世はそれを原理として回っているのだそうな。

アダム・スミスが最初に書いた本が道徳感情論であり、彼は元々人の感情に興味を持っていたのであって、経済の研究はその一部でしかなかったのだそうな。

この話を前提にしてみると、国富論も面白いかもしれない。何より道徳感情論が面白そうだ。けど私が古典なんて読んでも楽しめるとは思えないので、今のところ読む予定はないけど。