ゼロからわかるキリスト教/佐藤優

マルクスが書いた「ヘーゲル法哲学批判序説」を読む講座の内容をまとめたものがこの本。「ヘーゲル法哲学批判序説」というのはマルクスが25歳の時に書いた論文で、「宗教は民衆のアヘンである」という一節はこの論文に書かれているんだそうな。

 

それで、キリスト教について分かったか、全体的に何が書いてあったかというと・・・うーん?という感じなので、気になったところだけ書いておく。

 

日本語に訳すときに意味がずれてしまった言葉

いくつか挙げられているけれど、特にずれてしまうのが「愛」らしい。

日本語の「愛」という言葉は強いて言うと、ギリシャ語で<欠けているものを埋め合わす>という意味合いの「エロス」にむしろ近い。神の愛なんて意味にもなる「アガペー」、あるいは友情などで使われる「フィリア」。こういう言葉のニュアンスは、日本語で「愛」としてしまうとほとんど伝わってこないまま独り歩きしてしまうんだ。

日本語の「愛」は「欠けているものを埋め合わす」?いまいちピンとこないな。じゃあ他の言語の愛はどんなものだろう。

友情は友情と言われれば分かるけど、神の愛はまた意味が違うんですと言われると、それがどんなものなのか全然分からない。

 

疑似命題

私は全く使ったことがなかった言葉で知らなかったのだけど、前提に深刻な誤認があって、最初から答えが出ない命題を疑似命題と言うんだと。

この説明の例として挙げられていたのは、数年前に日本人がイスラム国に人質にされ、72時間以内に2億ドルの身代金を要求されたけ件。

この要求は札束で渡すにしても銀行に送金するにしても実現可能性がない。真の目的は身代金ではなく、イスラム国の宣伝である。だから身代金を払う払わないという議論は疑似命題。

 

ハーバーマス

佐藤さんは、この人の考え方を知っておくと世界が違って見えるよと言っている。そんな人の本を私が読んでも面白くないんだろうなあとも思うけど、機会があったら見てみたいので名前は憶えておきたい。

どんなことを言っている人かというと、頭のいい人たちと、理屈なんて関係ない、気合で行くという人達の間で分裂が起っていて、放っておくといつか爆発するので、排除するのではなくて理解しないといけない、ということを言っている人らしい。

考え方のベースからちょっと違っている人達がいる、ということは、大人になってから少しだけ知った。子供の頃は同じような集団で群れているから、分からなかったんだよね。