凶悪/「新潮45」編集部編

新潮45編集長である著者のもとに、ある死刑囚が、まだ明るみになっていない自身の余罪を告発したがっているという話が舞い込む。

それらの事件の首謀者は「先生」と呼ばれる人物であり、いくつもの犯罪を犯したはずの彼は未だ娑婆にいるという。

死刑囚・後藤の告白と、告白をもとにした著者・宮本さんの調査により徐々に事実が明らかになり、そしてついに・・・。

私はこの事件のことは知らなかったけれど、ノンフィクションである。

 

持ちやすいからという理由で文庫版を選んだのだけれど、これは絶対に文庫版を読むべき。

なぜなら文庫版書き下ろしの最終章に、おそらく多くの人が最も知りたいことが書かれているから。

ただし読むのはちょっとだけつらい。

 

復讐の覚悟

身元引受人を解除すると、万が一減刑されても、外に出られる可能性がゼロになるらしい。

記事が公になる直前、後藤はそれを実行した。

後藤が余罪を告発するに至った最も大きな理由は、生活能力がない舎弟の面倒を見ず自殺させてしまった「先生」への復讐だというのだけど、自分は散々人を殺しておいてそれが一番の理由であり、外に出る可能性を自ら放棄するほどの覚悟に至るとは、正直私はしっくりこない。

生活能力がないとは具体的にどういうことなのかとか、後藤がその舎弟をどう可愛がっていたとかは書かれていないので分からないし、そもそもこういう人の思考についてまともに考えても仕方がないのかもしれないけど。

 

簡単に人を殺すのに、人を大事にもする

「先生」にしても後藤にしても、人間全てに対して残酷なのではなく、気に入った人間がいたり、家族は大事にしていたりする。

人に対してあんなに酷いことができるのに。

身内とそれ以外に対する扱いが極端だというこということなんだろうか。

宮本さんは後藤の告白の姿勢については真摯なものを感じたけれど、同情はできないと書いている。自分と同じ人間ではなく、特殊な人間であると。

これらの人たちは、生まれた時から特殊なんだろうか。それとも育ちが悪くて歪んでしまったのか。

どちらにしろ、多分こういう人たちは悪いことをあまり悪いと思っていないのだろうと思う。

すると悪意を持って犯罪を犯しているわけではないないので、「凶悪」な人間というのは何だか少し違うような気もする。

 

きっとたくさんいる

後藤も「先生」も、本の中に写真が掲載されている。

後藤のヤクザ時代の写真はまあヤクザっぽいけれど、「先生」なんて本当に特別目立つわけでもない、そこら辺にいそうな人だ。

この事件はきっと氷山のほんの一角で、「先生」のような人間は沢山いるんだろうと思う。

それから、先生のような人間に人知れず葬られてしまった人たちも。

お金をたくさん持っているとか、普段からあまり人付き合いがないとか、危ない。気を付けよう。

 

凶悪―ある死刑囚の告発 (新潮文庫)

凶悪―ある死刑囚の告発 (新潮文庫)

 

 

自壊する帝国/佐藤優

佐藤さんが外務省職員としてモスクワに勤務していた時に、ソ連が崩壊した。

その頃に出合った、ソ連崩壊を画策する人達などについてのお話。

 

ソ連は複数の国が集まってできていたけれど、それらが個別の国になったということらしい。

最後の方のゴタゴタでそうなったんだろうということくらいは分かるけども、具体的にどのタイミングでそうなったのかはよく分からなかった。

 

自分が住んでいる国が崩壊すればいいと思う気持ちとは。

そんなことは考えたこともないな。日本が良い国だということなのか、私が何も知らないだけなのか。

一般の大学生の会話まで盗聴されるというのはかなり異常だと思うけど、崩壊を望んだ人たちはそういうところが嫌だったのか?

 

私はサーシャについて何となくあまりいい気がしていなかったのだけど、最後に会った時、彼がパートナーをとっかえひっかえしている様子を見て、佐藤さんもさすがにいい気はしなかったらしい。

けれど、佐藤さんが逮捕される直前にサーシャからメールが届き、佐藤さんがそのメールを何度も読み返した後返事を書かずに削除する辺りを読んで、何とも言えない気持ちになった。

もう連絡は取りあっていないのかな。

 

自壊する帝国

自壊する帝国

 

 

ぼくらの頭脳の鍛え方/立花隆・佐藤優

立花さんと佐藤さんがそれぞれお勧めの本を200冊くらいピックアップし、その本を紹介する理由などについての対談の内容をまとめた本。

読んだことがないのだから本当のところは分からないけれど、正直に言ってここで紹介されている本の殆どは私が読んでもあまり楽しめそうにない気がするし、沢山ありすぎてメモできないので、特にここで紹介された本を読む予定はない。

興味を持つことがあればその時に出会えるでしょう。

ただ、紹介されていた本のうち2冊だけは、以前読もうとしたけど読んでいなかった本だったので、その2冊だけはそのうち読むつもりでメモしておいた。

 

ぼくらの頭脳の鍛え方 (文春新書)

ぼくらの頭脳の鍛え方 (文春新書)

 

 

イスラエルとユダヤ人に関するノート/佐藤優

中東の辺りのゴタゴタの理由を知りたくて読んでみたのだけど、そんな中学生でも知っていそうなことを解説してくれるような本ではなかった。

佐藤さんはイスラエルを支持する考えのようだけど、それについて自分がどう思うかというと、事情がよく分からないので結局よく分からないままだった。

(子供の感想より酷いかもしれないけど、取り繕っても仕方がない。)

内容を見返すと何か思うところがあるかもしれないけれど、図書館で借りたものをもう返してしまって、断片的にしか内容を理解できていなかったので、あまり思い出せない。

 

私は、この方の本は何冊か読んで、とても面白いと思った本とそうでない本があるのだけど、違いは何だろう。

面白かったのは自伝的な内容で、そういうものはストーリーがあるから先が気になって面白いのだろうか。

逆にあまり楽しめなかったものは、説明的な内容のもの?ただ単に、内容が分からないと楽しめないだけかもしれない。

その人にとって面白い本かそうでないかは、何冊も読んでいるうちに冒頭を読んだだけで分かるようになるというけど、一体いつになったらその能力が身につくのだろう。

 

イスラエルとユダヤ人に関するノート

イスラエルとユダヤ人に関するノート

 

 

それをお金で買いますか/マイケル・サンデル

チケットの転売、売春、臓器売買、人身売買、等々。お金と交換するのは何だか嫌悪感を感じるけれど、それらは良いのか悪いのか、という話。

良しとする根拠は主に二つあり、一つは売買する人達の自由だということ。こういう、「個人の自由」という考え方をリバタリアニズムと呼ぶことは、以前読んだこの方の本「これから正義の話をしよう」にも書いてあった。

もう一つの考え方は、売りたい人がいて買いたい人がいて、双方の利益が一致するのだからOKということ。

そう言われればまあそうだねえとは思うけれど、すっきりしない。でもその理由は説明がしづらい。なぜかというと、尊厳とか品性とか、人によって基準があいまいなものが理由だから。

それとは別に、悪いと考える理由としてもう少し分かりやすいもの。売りたいと思うのが個人の自由だとしても、どうしようもない事情があってお金が必要な場合、それは自由ではなくて強制ではないかということ。

 

他人に迷惑をかけなければ個人の自由という、いわゆるリバタリアン的な考え方をよく見かけるようになった気がする。

私自身もそういう風に考えることはあるけれど、どこか腑に落ちないことがある。

それはあくまでも一つの考え方であって、正解というわけでもないからなんだな。

 

それをお金で買いますか――市場主義の限界

それをお金で買いますか――市場主義の限界

 

 

脳を鍛える/立花隆

著者の立花隆さんが東大で講義した内容を本にまとめたものらしい。

大雑把に、前半はいわゆる文系の話、後半は理系の話だったように思う。

この本に文系と理系それぞれの知識が偏りすぎているのは良くないよねと書かれているのだけど、確かに、私が文系だからなのか、後半の話は難しかった。前半の話は大体わかる話だと思ったけど、理系の人は前半の話をよく分からないと思うのだろうか?

大学の教養科目でとった何かの講義で聞いたエントロピー増大の法則は覚えていたのだけど、これが熱力学の第二法則なんていう重大なものだとは知らなかった。(もしかするとそう教えてもらったから覚えているのかもしれないけど、記憶にない。)

私がぼんやり覚えていたエントロピー増大の法則のイメージは「何でも拡散する」だったのだけど、これは「熱」力学の法則なので、エントロピーが増大するとはエネルギーの質が低下することであり、もう少し具体的に言うと仕事をする能力が劣化するということだそうな。

生命であればそれは死で、形あるものは何でも崩れ去るのがこの世の法則だとしても、生き物が生まれることはその法則に逆らうことなので、別の法則が要るはずだという話が面白い。

形作られては崩れて・・・を繰り返すこの世の仕組みを決めているものは何なんだろう。

とこの辺りまでは面白かったけど、かの有名な相対性理論が出てきたあたりからついて行けなくなった。

まあ、文系とか理系とか関係なく、このくらいは知っていないと、ということを私は知らなくて、これじゃいかんなということが分かったということで良しとしよう。

 

脳を鍛える―東大講義「人間の現在」 (新潮文庫)

脳を鍛える―東大講義「人間の現在」 (新潮文庫)

 

 

私のマルクス/佐藤優

著者である佐藤さんの、高校~大学(院)時代の話。主にその頃を共に過ごした友人や先生達について。

マルクスとかキリスト教とか、私はこれまで生きてきてほぼ考えたことがない種類の話なので、説明してもらっても殆ど意味がわからない。

それから大学内で何やら暴力的な事件が発生するのも、どういう状況なのかいまいちよく分からない。

時代のせいなのか?それとも生きている世界が違うのか?

生きている世界が違うと言えば、佐藤さんは高校一年生の頃に東欧の方に一人で旅行に行ったのだそうな。

しかも思い立ったのは中学三年の頃だというし。

私が同じ年の頃にそんなことは絶対に思わなかったな。この差は一体何なのか。

やっぱり、生きている世界が違うということなのか。

というわけで。

この方の本は他にも何冊か読んだことがあって、どれも面白いと思ったけど、これは残念ながら理解不能な点が多すぎてあまり楽しめなかったというのが率直な感想。

分かる範囲で思ったことは、こんなに若い頃から学びたいことが明確で、だからこそ専門家である大学の先生からも色々吸収できて、その賢さが羨ましいということ。

私も大学に通っていた頃は周りにすごい人が沢山いたかもしれないのに、受け入れる側の私の器ができていなかったので、殆ど何しに行ったのかという感じだな。

そう考えると、大人になってから大学に通ってみるのもいいかなあと思った。

私が学生の頃、子育てが落ち着いたくらいの女性が同じ学年にいたけど、その気持ちは分からなかったな。

 

私のマルクス (文春文庫)

私のマルクス (文春文庫)