暇と退屈の倫理学/國分功一朗

人間は何万年もの間移住生活を続けてきたが、定住した途端頭を使う機会が減った。その分、文化など色々なものを発達させることができたけど、命の危険にさらされることも食べるものに困ることもなくなった人々は、退屈に耐えられない。

だから娯楽を与えられると、それに飛びついてしまう。それが産業に都合が良いだけのものであっても。例えば大して機能が変わっていないのに頻繁にバージョンアップされる携帯電話をその都度買い替えてしまうとか。

仕事に打ち込むのも、遊びの予定を埋めるのも、退屈になるのが不安だからかもしれない。

 

ここのところ私も、退屈して困っている。

仕事を一生懸命やらないとやっていけないような状態だった頃、こんなのは嫌だと思っていたけれど、正直充実していた。けれど年月を経てそこまで頑張らなくてもよくなると、段々と退屈だと感じるようになってしまった。

何か夢中になれるものが欲しい。色々新しいことを試してみるしかないだろうと思って、少しずつ動いてはいるのだけど、いつ出会えるのやら。

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)
 

 

私はいったい、何と闘っているのか/つぶやきシロー

主人公はすごく気が利く人なんだけど、ちょっとうまくいかないこともある。でも大体幸せそうだ。

エッセイかと思ったら小説だった。面白かった。

作者は今どうしているのかな。

私はいったい、何と闘っているのか
 

 

刑務官佐伯茂男の苦悩/小笠原和彦

 刑務官とは拘置所で死刑囚の世話をする人で、死刑を執行することもある。何とも気が滅入りそうな仕事のように思うけれど、この仕事に就く方はどういう経緯で就くのだろう。

もうすぐ死ぬと分かっている人間を相手にすることや、死刑の執行ボタンを押すことは相当なストレスだろうとは思うけれど、自分だったら逃げ出したいと思うほど嫌だろうか。どうだろう。実際にやってみたことがないからうまく想像ができないかもしれない。少なくとも、長期的にそういう仕事をするのはきついだろうから、職業として自ら進んで選ぶことはしないかなあ。

刑務官佐伯茂男の苦悩

刑務官佐伯茂男の苦悩

 

 

日本奥地紀行/イザベラ・バード

 明治維新の数年後、イザベラ・バードさんが一人の通訳を連れて日本の奥地を旅した記録。

イザベラさんは旅をした当時多分それほど若くないだろうし、言葉も通じないし、よくもまあ一人で何日も旅をしようという気になったなと思う。どこも観光地ではないから快適に過ごせるような場所ではないし、長距離を移動するのだって大変なのに。そんなことは二の次だと思えるくらい好奇心が旺盛ということか。私なら耐えられない。

日本人について、未開の人と書いてあったり、髪型や服装などについてとても酷いと書いてあったり、時々かなり辛辣な言いようで笑ってしまう。

どこに行っても、日本人が大量に押し寄せてきては、屋根を上ったりしてイザベラさんが泊まっている部屋を覗いてくると書いてあり、まあ未開人と言われても仕方がないのだろうけど。

裸で過ごしている人がいると書いてあったけど、裸とは本当に裸なんだろうなあ。

けれど、日本人はどこに行っても皆親切で礼儀正しいとも書いてある。どうしてだろう。不思議。

日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー)

日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー)

 

 

心はあなたのもとに/村上龍

 妻子持ちの投資家西崎と元風俗嬢の加奈子。加奈子は1型の糖尿病で、加奈子が亡くなるところから話が始まり、西崎は加奈子のメールを読み返しながら、加奈子との日々を追想する。

村上龍さんは有名な作家さんだけど、私はこの方の作品を今回初めて読んだ。

 

西崎と加奈子がお互いを大切に思っているのは本当だろうし、それは美しい話だ。でも西崎には妻子があり、そのことと加奈子の間で悩んだりはしないし、それどころか加奈子と付き合いながら頻繁に他の女性達と遊んでいる。

たまに罪悪感がどうのと言ってはいるけれど、人には大切なものが複数あって、どれか一つに付きっきりになることはできないと西崎は度々言っている。だからこの人の中ではそういうのはアリなんだろう。

そしてこの人、相手の言動から心理分析をして、どう相手に接したらいいかをものすごく考える。そりゃあ仕事はできるし、女にもモテますわ。

こう書くと西崎は悪い奴のようだが私は嫌な奴だと思ったわけではなく、ちょっと常人じゃないなと思った。こんなスーパーマンみたいな人そうそうお目にかかれないよ。

 

糖尿病の型の違いや症状など、ぼんやりとしか知らなかった。突然昏倒することがあるだなんて恐ろしい。加奈子は、誰もいない部屋で一人意識が薄れていったのだろうと考えると気の毒だ。

心はあなたのもとに

心はあなたのもとに

 

 

謝るなら、いつでもおいで/川名壮志

 何年か前に、小学校6年生の女の子が同級生の女の子を殺した事件があった。被害者の女の子の父親は毎日新聞の記者で、その部下だった川名さんがこの本の著者である。

 

当事者間で、些細な喧嘩のようなものがあったという話は事件当時から挙がっていたけれど、親も弁護士も、大人たちはみんな理由がよく分からなかった。いくら何でもそんな理由で、友達としてそれまで付き合ってきた相手を殺すだろうか?

だけどそれが、実際に殺害の動機だったらしいということは、被害者の女の子のお兄さんの話を聞いてやっと腑に落ちた、ということだと思う。

当時中学生だったお兄さんの話は誰も聞かなかったので、彼はずっと一人で抱えていて、この本のために川名さんが取材した時には高校を卒業していた。

親たちは事件をずっと引きずっているけれど、お兄さんは殆ど乗り越えている。きっと最初から事情を理解していたからだろう。

お兄さん曰く、加害者の女の子は、集団にうまく入れないタイプの子で、ちょっとやりすぎてしまったのだろうということだった。

そういう人は、生きていくのが大変だろうなあ・・・。

 

加害者の女の子は当時11歳なので、少年法が適用されて犯罪者とは扱われない。どんな罪を犯そうとも、国が再教育すべき被害者として扱われるのだそうだ。

この本のタイトルはお兄さんの言葉。今はもう大人になり、社会に復帰しているはずの加害者の女の子は、謝りに行ったのだろうか。再教育は成功したのだろうか。

謝るなら、いつでもおいで

謝るなら、いつでもおいで

 

 

悲素/帚木蓬生

和歌山のカレー事件を元にした小説で、大学教授である主人公が、和歌山県警からの依頼で被害者たちを診察し、砒素中毒の診断をしていく。

カレー事件の方ばかり印象に残っていて殆ど忘れていたのだけど、そう言えば犯人と言われたあの人は、カレー事件より以前から 周囲の人間に砒素を盛り、多額の保険金を得ていたという話があった。一方カレー事件については動機がはっきりしない。

この点について最後に主人公が、13年にもわたって砒素でおいしい思いをしてきた犯人は、砒素を盛るのが快感でやめられない状態になっていたのではないかと言っている。

この人は確か死刑が確定していたと思うけど、今でもカレー事件の犯行は否定しているのではなかったかな。それに他にもこの人が犯人ではないという話を聞いたことがある。真実は何なのだろう。

悲素

悲素